2008年04月08日
山谷の人々
悲しいかな。
でもこのような人たちのような縁の下があるからこそ日本はたくましくなっていったこと、
忘れてはいけません。
1969年、フォーク歌手岡林信康が、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』を発表した。岡林は山谷に長期滞在して作ったといわれるが、実際に滞在していたのは一週間程度だった。
1984年と1986年には、この地区で暗躍する暴力団(金町一家)と労働者の闘争を描いたドキュメンタリー映画『山谷(やま) - やられたらやりかえせ』を製作した監督2名が、暴力団日本国粋会の組員によって相次いで暗殺される事件が起こった。
1996年に東京都と東京23区は互いの了解のもと、路上生活者に各区が生活保護を行い、自区内で住居が決まるまで山谷に預ける「規則(ルール)」を作った。一時的に預けるという措置だったが、保証人などの問題もあり、その後も各区が再度引き取ってアパートなどを探すことはあまりなく、山谷に連れて行かれた後そのまま放っておかれるなど、長期にわたって住所不定のままになっている人が少なくない。こういったことから、山谷は「棄民の街」と揶揄されている。
近年では、この地区の主な住人である日雇労働者の高齢化と人口減少が問題になってきている。このことから、「労働者の街」から「福祉の街」に変わりつつあるという声も聞かれる。
こうした住人の変化に伴い、簡易宿泊施設には従来の労働者に代わって、各国から日本に旅行にやって来る外国人達(バックパッカー)による格安のホテルとしての利用が増加している。英語表記の案内を施設内に充実させるなど簡易宿泊施設のオーナーらには外国人利用者の利用を促進したいという動きがみられる他、真新しい新築の簡易宿泊施設も次々と登場している。さらに近年では夏休みを利用し都内に旅行に来る国内の若者に加え、同人誌即売会「コミックマーケット」の開催時期には国内外から来る若者が滞在費を抑えるために簡易宿泊施設を利用するケースも見られるようになっている
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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